おちゃらけミクロ経済学: アダムスミスと見えざる手(2)

2012年9月21日金曜日

アダムスミスと見えざる手(2)

「高慢で無感覚な地主」って誰のこと?





前回のブログに、とても豪快な書きっぷりのところがあります。
「高慢で無感覚な地主」というところです。イヤミたっぷりな書きかたですね(笑)



実は、管理人は以前、ある百貨店の個人外商部で、働いていた経験があります。
当時は、お客様との付き合いがあったので、アダム・スミスからこんな指摘を受けると、
個人的には、非常に複雑な心境です(-_-;ウーン



「道徳感情論」の解説




さて、「高慢で無感覚な地主」が、私利私欲のためにお金を使うと、
「見えざる手」によって生活必需品が分配される、とはどういうことでしょうか?



アダム・スミスは、「道徳感情論」において、
小麦の生産を例に引きながら、説明しています。


"かれの胃の能力は、かれの諸欲求の巨大さにたいして、まったくつりあいをもたず、もっとも貧しい農民の胃より多くを、受け入れはしないだろう"

(管理人の意訳)
「広大で肥沃な土地をもつ地主は、自分やその家族だけでは、
収穫した莫大な量の小麦を食べきることはできないだろう」

"残りをかれは、かれ自身が使用するわずかなものをもっともみごとなやり方で
準備する人のあいだに、(中略)地位ある人々の家計のなかで使用されるすべての
さまざまなつまらぬ飾りや愛玩物を供給し整頓しておく人びとのあいだに、分配せざるをえない。"


(管理人の意訳)
「余った小麦は、地主の屋敷で、要領よく働く使用人の給料や、
嗜好品などを持ち込んで販売する業者への、代金として支払わなければならないだろう」

"こうして、かれらすべては、かれの奢侈(しゃし)と気まぐれから、
生活必需品のその分け前を引き出すのであって、かれらがそれを、
かれの人間愛または正義に期待をしても、むだだったであろう"


(管理人の意訳)
「かれら(貧乏人)は、かれ(地主)のぜいたく品の消費を助けることによって
生活必需品を賄う。地主の人間愛や正義によって賄われているわけではない」



アダム・スミス 水田洋訳「道徳感情論(下)」岩波文庫P23

道徳感情論の応用



いやはや、生活必需品について、すでに3世紀も前から指摘していた
アダム・スミスの洞察力に恐れ入ります。冒頭で愚痴ってましたが、返す言葉もありません。。。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ



まさしく、アダム・スミスが描写した文章は、百貨店業界の外商の世界です。
かつての私がもらっていた給料はこのように支払われていました(笑)



ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ




このように、「高慢で無感覚な地主」が、
気まぐれで散財することについて、税金をかけるとなればどうなるでしょうか?




当ブログで「道徳感情論」を持ち出したのは、
以前、「誰に対して」、税金の負担は向かうのか、を説明した
「ヨット税」のお話と結びつけるためです。



次回に持ち越して考えてみましょう!
一度引っ張ったネタを何度でも使えるところが、経済学のおもしろいところです!
(つづく)





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