おちゃらけミクロ経済学: アダムスミスと見えざる手(3)

2012年9月22日土曜日

アダムスミスと見えざる手(3)

富の分配のしくみ




前回のブログで、アダム・スミスが書いた、
「道徳感情論」における見えざる手は、社会全体の富の分配について、
次のことを明らかにしました。


  1. 「お金持ち」は、自分だけでは消費しきれない富を生み出す
  2. 「お金持ち」は、消費しきれなかった富で、使用人を雇い、ぜいたく品を購入する
  3. このように「貧乏人」は、「お金持ち」から生活必需品の原資を引き出す


この、「道徳感情論」における見えざる手
逆に応用したのが、以前、当ブログで紹介し、実際にアメリカで行われた、ヨット税のお話です。



ヨット税の復習



ヨット税のお話とは、
ぜいたく品に課税を行っても、富裕層(お金持ち)は、他のぜいたく品を買い物し、
ヨットの製造に携わる中産階級の失業などという、
「税の副作用」が発生するという内容でした。







もし、アメリカ議会でヨット税なるものが、採択されていなければ、
ヨット工場の製造ラインが止まったり、その従業員が失業することはなかったでしょう。



上のグラフに従って説明すると、くさびはかからず、
ヨット供給者の取引利益は、確保されていたはずです。
(灰色の大きな長方形と赤色の三角形の部分)



アダム・スミスの考え方を使えば、ヨット税がなければ、
ヨット製造業者の中産階級は、富裕層から、生活必需品を引き出すことができていたのです。
当然、製造業者の失業も少なくて済んでいたでしょう。




ヨット

sailboats / naitokz


「道徳感情論」から見る課税理論



「道徳感情論」見えざる手は、「高慢な地主(お金持ち)」のために,
無数の奢侈品を生産します。しかし、見えざる手は、それ以上に、
無数の奢侈品よりも多くの生活必需品を多く生産します。
それが、最低水準以下の生活をしいられている「貧乏人」を幸福にします。



つまり、「道徳感情論」における見えざる手とは、
「貧困をなくす仕組みづくり」
であるとも言えるのです。
それも「相対的な貧困」をなくすというより「絶対的な貧困」をなくすしくみづくりです。



そのため、見えざる手に対して、安易な「見える手」(人為的な課税)の導入
つまり課税を行うと「貧乏人」に対して、 「ヨット税」のお話 のような副作用をもたらします。
従って、人為的な資源配分でもある「見える手」を導入するためには、


  1. 課税について、需要曲線と供給曲線の相対的な傾きを考える
  2. 「誰が」、「どのぐらくい」負担するのかを考える


という分析が欠かせません。
税金の問題って色々な角度から考えられますね。
記事を書いている管理人自身がびっくりします。
(「アダムスミスと見えざる手」シリーズ終わり)



※「見えざる手」は「神の見えざる手」といわれることもありますが、
前回のブログで引用した「道徳感情論(下)」の文章では、「神の」という部分はありません。
従って当ブログの記事では、引用文にもとづき「見えざる手」と表記しております。




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